<国の重要無形文化財の指定について>
結城紬は、久留米の木綿織、小千谷の麻織とともに、昭和三十一年三月三十一日(1956年)付けで国の重要無形文化財に指定されました。
一、指定理由
 結城紬は、常陸紬ともいわれ、古くより茨城県結城市、栃木県絹村を中心として製織され慶長のころから結城紬と称され、江戸時代初期には、相当多量の生産を見たもののようでる。結城紬は同地方において製織されているが、稀に見る古様を伝えるもので、織糸は真綿からひき出した紬糸、絣括りは手括り、織機は最も原始的なイザリ機が用いられている。近時染色は天然藍による染色を廃し、化学染料が用いられており、又大正の初期頃より強撚糸を緯に用いた<お召>風な製織が行われ、柄も多色な絵柄のものがおこなわれるようになったが、ここに取り上げようとするのは、これ以前の結城紬の本来の姿である。<平>の縞、格子、絣、杢等を主としたもので、これは近来、柄ものの進出に押されて、次第に生産が下り坂になっているが、水を入れても洩らぬと、いわれる結城本来の姿と、独特な美しさの中に、渋い味わいのあるよさは、かえってこの<平>の中に認められ、わが国染色技術中、特に芸術的な価値が高く、かつ地方的な特色が顕著なものであると考えられる。
二、指定の要件
イ、
使用する糸はすべて真綿より手つむぎしたもののみとし、強撚糸を使用しないこと。
ロ、 模様をつける場合は、手くびりによること。
ハ、 イザリ機で織ること。
三、保持者の認定
一、保持者の認定は、糸つむぎ、絣括り、染色、織、仕上等の工程中より、特に結城紬の指定要件に該当する工程に従事する者を、代表者として認定する。                 
二、製織者が茨城、栃木両県にまたがっているので、保持者を認定する各工程について、両県より一名ずつ保持者代表として認定する。

以上について審査の結果、次の六名が代表者として認定されました。

茨城県
栃木県
糸つむぎ部門
大里 ふく
大塚 いせ
絣くびり部門
北村 勘一
今井 五郎
織   部門
北條 きの
増田 かね
昭和五十年七月、国の文化財保護法の一部改正により、技術保持者の代表指定が団体指定に改められたため、本場結城紬技術保持会を設立し、昭和五十一年四月三十日付を以って認定を受けました。
国の重要無形文化財(団体)に指定された工芸技術
       

越後上布、小千谷縮布、    えちごじょうふ、おぢやちぢみふ  

 越後上布、小千谷縮布の歴史は古く、1200年前に遡ると言われ、奈良正倉院に越後の上布の記録が残されています。新潟県魚沼郡地方では、麻糸の特質と湿度の高い雪国の自然環境、風土とが一体化して受け継がれてきました。越後上布、小千谷縮布は洗練された手作業により織り上げられ、通気性に富み、軽く、上布はさらりとした風合い、縮布は"しゃり感"が特徴の最高級着尺地です。

結城紬

ゆうきつむぎ

 <常陸風土記>に出てくる(あしぎぬ)は結城紬の元祖とされ、奈良時代に朝廷へ上納された布は今も奈良正倉院に保存されています。結城紬と呼ばれるようになったのは江戸時代からです。結城紬の魅力は、繭を煮て真綿にして糸を引き出すことで、きらびやかさが押さえられ、独特の肌ざわりと使うほど深まる味わい、またぬくもりを感じさせる崇高な生地です。すべて工程が手作業による手法で守られています。

久留米絣

くるめがすり

 久留米絣は江戸時代の終わりごろ発明され、その後、多くの先人の努力により今日まで技術が保存伝承されてきました。久留米絣は木綿の耐久性、藍の香りと紺地に白の素朴な美しさ、風合い等から全国で広く愛用されています。木綿、正藍、括りに象徴される久留米絣は、染色工芸品として、約30以上の複雑多岐に渡る工程において、いずれも熟練と経験、高度な技が要求されます。

石州半紙

せきしゅうばんし

 石州半紙はかつて潮風のはげしい地方の障子紙として重宝されましたが、現在は各種の下貼り紙、表具用紙、版画用紙など数多くの用途を持っています。原料は地元産の石州楮を使用し、特に緑色のあま皮部分の短繊維が長い靱皮繊維が絡むすきまを埋めるため強靱な紙となり、同時に光沢のある未晒し色の色紙となります。石州の風土をいかした入念な製法で、長期保存に耐える紙を作っています。

本美濃紙

ほんみのし

 最も古いものは大宝2年(702年)の戸籍用とて奈良正倉院に所蔵されています。本美濃紙の魅力は、柔らかみにある紙色と、光に透かして見たときの繊維が整然と絡み合っている美しさです。丹念に処理された楮の原料は薬品を使わずに処理し天日乾燥を行い、昔ながらの工法を心がけています。漉く際には<そぎつけ>と呼ばれる高級な簀を用いて縱揺りに美濃独特の横揺りを加えた微妙で複雑な動かし方を行うのが特徴です。

柿右衛門(濁手)

かきえもん(にごしで)

 柿右衛門窯は、約400年の歴史を持つ日本の代表的な伝統工芸窯です。柿右衛門の焼物の特徴は、<柿右衛門様式>といわれる様式美と濁手の磁肌にあります。柿右衛門色絵は、日本画の持つ左右非対称の構図と余白を基調にしたものです。その余白のために生まれた<濁手>と呼ばれる磁肌は柿右衛門の色絵をより美しく、より温かくしています。

喜如嘉の芭蕉布

きじょかのばしょうふ

 芭蕉には花芭蕉と実芭蕉、そして繊維のとれる糸芭蕉があり、この糸芭蕉から作られる織物が芭蕉布です。芭蕉布の歴史は13世紀からと古く、沖縄の人々に親しまれ衣生活には欠くことの出来ないものでした。しかし、全島各地に見られた芭蕉布も次第に少なくなり、今日では喜如嘉の村だけにその伝統が受け継がれています。芭蕉布のひんやりとした肌触りと風通しの良さは、広く夏衣として愛されています。

色鍋島

いろなべしま

 元和2年(1616)有田で初めて白磁が造られ、その後中国より赤絵付技術が伝えられました。鍋島藩の御用窯として伊万里で本焼焼成を、色絵は一子相伝の秘法と定められた今右衛門家で赤絵付を行い、保護されました。現在では<色鍋島>と呼ばれ、これは藩窯時代の技術に準じ、柞灰釉による青味のある釉薬、染付けの青、黄、緑、洗練された草花文様で構成された現代色絵の作品です。

 

輪島塗 

わじまぬり

 伝世する最古の輪島塗には、市内に室町時代製作の朱塗りの扉があります。輪島塗は本堅地の工法で作られており、焼成粉末にした珪藻土を漆に混ぜて塗り重ねたり、木地の破損しやすい部分に布をはりつけて堅牢な漆器を作ります。また沈金や蒔絵による豪華な加飾が行われます。工程は124に及び、多くの人の丁寧な手作業で製作されるのが輪島塗の大きな特徴です。

細川紙

ほそかわし

 和歌山県の細川村で漉かれていた細川奉書を、江戸に近い武州男衾、比企、秩父3郡で漉き発達したものです。当地域の和紙の起源は宝亀5年(774)の正倉院文書等に見られる武蔵紙と推測されます。原料は秩父、群馬県より産出する楮で、繊維はやや粗いが強靱です。記録帳が江戸の災害時の洪水にも耐えられることから重宝されました。製造技術は、10工程以上の微妙な勘と経験を必要とする作業で製紙されます。

宮古上布

みやこじょうふ

 約400年前、琉球の船が台風で沈没寸前となり、宮古の真栄が海に飛び込み船の故障を直して全員の命を救い、琉球王はその功績を讃えました。妻は喜び、心を込めて布を織り王に献上しました。これが宮古上布の世に出た始まりと伝えられています。美しさゆえに宮古上布も上納布として当時の女性を苦しめた時代もありました。宮古上布は優秀な日本麻織物として国内はもとより世界でも高く評価されています。

伊勢型紙

いせかたがみ

 着物に絵柄を染めるため、型地紙に彫刻刀で様々な文様を彫りあげたもので、古くから鈴鹿市の白子、寺家両町を中心に発達した伝統産業です。隆盛したのは、江戸時代に入って紀州藩の保護を受けたこと、精緻な柄が小紋として武士の裃に使用さたために、需要が伸びたこと等が考えられます。伊勢型紙の製法技術には、突彫、錐彫、道具彫、縞彫の4種類の彫刻技法と紙がずれないよう補強する糸入れの技法があります。

小鹿田焼

おんたやき

 宝永2年(1705)に開窯したと伝えらています。以来、明治末まで農家の日常雑器を焼造し、昭和に入りその伝統的な技法と作調が賞揚され、その名が全国に広がりました。以後、今日までに主に原料の確保から、製造や加工、伝統的用具を用いた作品製作にいたる工程には、伝統的かつ地域的な技法が純粋に継承され、今日の小鹿田焼の特徴となっています。

トップページに戻る